信を信ずるは信なり 疑を疑うもまた信なり
『荀子』
【意味】
信じるべきことを信じることが「信じる」である。疑うべきことを疑うこともまた「信じる」である。
【注釈】
・荀子…紀元前3世紀代の中国の思想家である荀子の著書類を、818年に一冊の本として編集し直したもの。
【解説】
仏様の名前を唱える時は、名前の前に「南無」を付ける。南無とは全てを任せるという意味である。つまり、南無阿弥陀仏と唱えるということは、阿弥陀様を信じ切るということになる。
私達はそこまでの信心を持つことができるのか。仏様を疑うことは許されないのか。ここに仏教という宗教の特色、すなわち仏様を信じるとはどういうことかが現われている。
仏教や仏様を信じないからといって、仏様は私達に罰を与えることはない。教えによって私達を正しい生き方へと導くのが仏様の方法である。教えに納得できないなら、それに従わなくてもいい。仏様は私達に教えを強制することはしない。自分で考えて納得して受け入れることが、本当に仏様の教えを信じるということである。
仏教や仏様を疑い続けていく中で、仏様の教えが疑いようのないものであると気付く時が来る。仏様はその時を待ってくれている。それが仏様の慈しみである。その心があるからこそ、私達は仏様に全てを任せることができる。