今月のことば  令和5年 4月

あらゆるジャンルに貴賤はない、

されど、ジャンルの中には厳然として貴賤が存在する。

村松友視『私、プロレスの味方です』

 

小学校の運動会の徒競走で、順位をつけないためにゴール手前で全員立ち止まり、手を繋いでゴールとさせるという指導がされていた、という話がある。真偽不明の噂話だが、この話が広まる背景には、順位付けの排除が訴えられる時代の風潮があった。

 

 皆が見ている前で最下位になれば、足の遅さに劣等感を持つ子がいるかもしれない。しかし、足の速い遅いは必ずある。その事実をごまかしてはいけない。それがジャンルの中には厳然として貴賤が存在するということだ。大切なのは劣等感を持たせないことではなく、一時の劣等感に負けない心を育てることだ。

 

運動は苦手だが勉強は得意という子もいる。勉強の中でも国語は得意だが理科は苦手という子もいる。どれができるから偉い、できないから駄目ということはない。それがあらゆるジャンルに貴賤はないということだ。自分はこれができるという確かな自信を持つことが、一時の劣等感に負けない心となる。

 

仏教には数多くの宗派がある。多数派の宗派、少数派の宗派がある。少数派の宗派は時代に合わなくなったとか、宗派の教えをうまく伝えられる僧侶が少なかったということがあるかもかもしれない。しかし、少数であってもその教えに感銘を受け、正しい生き方をできるようになる人がいるなら、それは価値ある教えなのだ。どの宗派が正しいとか優れているということはない。色々な教えに触れられる柔軟さが、悟りへの道を切り開いてくれる。