己が徳行の全欠を忖って供えに応ず
【意味】
自分が正しい生き方をしていたかどうかを考えてから食事をいただく。
【注釈】
・赴粥飯法…修行僧がどのような心構えや作法で食事をいただくべきかを記した書。
【解説】
道元禅師は『赴粥飯法』にて、経典や高僧の言葉を引用しながら食事が仏道修行であることを説いている。
私達は生きていくためには食事をしなければならない。食事とは命をいただくということ、突き詰めれば殺すということである。自分は殺生をしてまで食事をいただくに値するのか、正しい生き方をしている人間かを考えなければならない。それが食前の心得であるというのが、この言葉の示す教えである。
そもそも正しい生き方とは何か、それも簡単にわかることではない。まずは何もわかっていない自分に気付き、どうすればよいか悩み続けることが、正しい生き方をするために必要なことだ。
食事が修行ならば、生きようとすること自体が修行である。だから一生修行は終わらない。私達は常に仏様の教えを受けている。人生のあらゆる場面で、仏様の導きに繋がる出来事が起きている。その時に正しい生き方とは何かを仏様は教えてくれる。それを感じ取ることが、私達が一生続けていく修行である。