今月のことば  令和5年 1月

私達は見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。

 

新約聖書「コリント信徒への手紙二 4章18節」

 

【英文】

 while we do not look at the things which are seen,but at the things which are not seen.

 

【解説】

 多くの宗教は目に見えない何か、形のないものを拝む。見えないものを信じ切って受け入れることは難しいが、疑い抜いて否定することも難しい。見えないものは簡単には検証できない。だから「ある」とも「ない」とも言い切れず、私達の心を悩ませる。

 

逆に見えないから都合のいいもの、信じたくなるようなものを想像することもできる。見えるものとして目の前にあれば想像の余地はなくなり、都合のいい話はできなくなる。

 阿弥陀様や極楽浄土は実在するのか。今の私達には何も見えない。実在するという確固たる証拠はない。だからと言って存在しないとも言い切れない。

 

 あるかないか悩むなら、今は忘れればいい。どんなに考えても結論は出ない。考えるべきは自分にとって阿弥陀様や極楽浄土が必要かどうかである。阿弥陀様は全ての人を極楽浄土へと導く。極楽浄土へ行けば必ず仏になれる。それを想像した時、自分の心に喜びや安らぎが生まれたなら、その時は信じて願えばいい。本当に阿弥陀様や極楽浄土を求める心が芽生えた時、見えるか見えないか、あるかないかという問題を飛び越えることができる。