今月のことば  令和4年11月

劇場があって劇が演じられるのではない。

劇が演じられると、劇場になるのである。

寺山修司『臓器交換序説』

 

【解説】

 法然上人はその生涯で寺を建立することはなかった。弟子から寺を建立することを勧められた時には、「寺という特別な場所を設けてしまうと、念仏がそこでしか行われなくなり、教えが広まらなくなってしまう。念仏の声が聞こえるところはどんな場所でも私の寺である」と答えたという。

 

当時の寺は高貴な身分の人達の為の場所であり、庶民が参詣することは難しかった。それなら寺に参詣できない人は、今いる場所で念仏を唱えればよい。念仏はいつでもどこでも、特別な準備をしなくてもできる。寺に行けない人にこそ念仏が必要となる。だから法然上人は、浄土に行くための様々な修行の中から念仏を選び出したのだ。

 

 私達は阿弥陀様のお導きの下で毎日を過ごしている。その喜びを表すために念仏を唱える。その瞬間にいるが仏道を志す者の為の寺となる。だから私達が日々を過ごす場所が、一人一人にとっての寺なのだ。阿弥陀様も念仏も寺も、私達の日常の中にある。それが法然上人の教え、念仏第一の生活の心構えである。