茶に遇っては茶を喫し、飯に遇っては飯を喫す。
『碧巌録』
【意味】
お茶を出されたらお茶をいただく。食事を出されたら食事をいただく。
【注釈】
・碧巌録…一一二五年に中国で成立した禅問答集。
【解説】
私達が日々与えられるものや遭遇する出来事は、その時自分が求めているものだとは限らない。しかし、私達に与えられたものは全て大切なものであり、どんな出来事も私達の人生を形作る為にある。
おそらく多くの人は、学校で学んだ対数関数やモル計算を現在の日常生活で用いたことはないだろう。それでも当時は必死に勉強した。何の役に立つのか疑問を感じながらも色々な公式や名称を憶えた。そこで得た知識が直接役に立つ進路には進まなくとも、一生懸命勉強したという経験は現在の自分にいい影響を及ぼしているはずだ。あるいは当時は役に立たないと思った勉強が、思わぬところで役立ったこともあるのではないか。
人生はいつ何がどうなるかわからない。しかし、過去・現在・未来は必ず一つに繋がっている。今の何気ない行動が、ずっと将来に影響してくるかもしれない。それが縁起という仏教の教えである。だからどんな小さな出来事もおろそかにせず、目の前のことには真剣に取り組むとよい。お茶や食事を出されたら、それをありがたく思って大事にいただく。毎日の生活をそのような心で過ごすことが、悟りの境地である。