関、南北東西に活路通ず。
‐大燈国師‐
【意味】
関所を通過できれば、その先はどこへでも道が広がっている。
【注釈】
・大燈国師(一二八三~一三三八)…臨済宗の僧。臨済宗大徳寺派の大本山である大徳寺を創建した。
【解説】
大燈国師が「雲門の関」という難解な公案(いわゆる禅問答)を解き、悟りを開いた時の心境を表した言葉とされる。そこから転じて次のような教訓を伝える言葉としても用いられる。
スポーツでも芸事でも、最初は楽しそうだと思って始めるだろう。しかし、ある段階までいくと、思うように上達できなくなる時が来る。これが「関」である。その時には楽しさよりも辛さや苦しさを感じるが、それを乗り越えれば、より上達して色々なことができるようになり、一層楽しくなる。これが「南北東西に活路通ず」ということだ。つまり、辛いことや苦しいことから逃げず努力すれば、必ずそれを乗り越えて大きく成長できるという話である。
お釈迦様は悟りを開く為に自分を痛めつける苦行に取り組んでいた。当時はそれが一般的な修行だったが、お釈迦様は無意味であると考え、瞑想による心身の安定によって悟りを開いた。
苦行をやめることは修行から逃げることではないか。周囲からの非難もあり、お釈迦様も悩んだだろう。しかし、自分で正しい方法を考えたからこそお釈迦様は仏となった。逃げずに努力するとは、闇雲に取り組むことではなく、どうすれば乗り越えることができるかを考えることである。それに気付いた時、どこへでも通じる道へ進むことができる。