今月のことば  平成28年 9月

市中これ道場なり   

‐空也上人‐

 

【意味】

人々が集う街中こそが仏道修行の場である。

 

【注釈】

・空也(九〇三~九七二)…平安時代中期の僧。念仏を唱えながら諸国を巡り、道路・橋・寺院などを造った。

 

【解説】

 自動車の運転免許を取るために教習所へ通うと、まずは教習所内で車を走らせて運転技術を学ぶ。充分に技術を身に付けて仮免許を取ると、今度は路上で車を運転する。他の車や歩行者のことも考えながら運転するのは、教習所内で走る時とは全く違う緊張感がある。自動車の持つ危険性を考えれば、他の人のことを考えながら緊張感を持って走ることを学ぶことは欠かせない。 

何かを学び習得する為には、自分一人の頭の中に収めるだけでなく、他の人と共にこの世界で生きていく中で活用できるかということも大切だ。

浄土で修行した者がこの世界へ帰り、人々を浄土へ導く為に働くことを「還相(げんそう)」という。迷える人々の為に教えを説くことも修行の内であり、還相をもって仏となるための修行は達成される。

 阿弥陀様は人々の中で教えを説くことを誓って仏となり、全ての人を浄土へ導く為に私達一人一人の元へやって来て下さる。この世界こそ、仏となった阿弥陀様がいらっしゃる場所なのだ。阿弥陀様のような仏となることを目指すならば、還相を欠かすことはできない。

 浄土へ行くことは最終的な目的ではなく通過点だ。この世界の人々の為に力を尽くせるようになってこそ、本当に修行を終えて仏になったと言える。その為の道筋として、阿弥陀様は念仏と言う方法を用意して下さった。

 

いずれこの世界で教えを説ける仏となれることを願って、日々念仏を唱えて欲しい。