稽古は本場所のごとく 本場所は稽古のごとく
‐双葉山‐
【解説】
稽古という日常の場面こそ本場所、つまり本番のような緊張感を持ち、本場所という特別な場面こそ、いつもの稽古と思って肩の力を抜く。こうして稽古と本場所の境をなくし、いつも同じ気持ちで土俵に上がる。その姿勢こそが、六十九連勝という大記録を生んだのだろう。
法然上人以前の浄土教(古来の浄土信仰)では、念仏を尋常、別時、臨終の三つに分けている。尋常は毎日の生活の中で唱える念仏、別時は特別な儀式として唱える念仏、臨終は死の間際に唱える念仏である。
これに対して法然上人は、このような区別に意味はないとしている。尋常の念仏のつもりでも、そのまま臨終の時を迎えればそれは臨終の念仏となる。だからどんな時も変わらぬ心で、日々念仏を唱え続ける生活を送るべきと教えている。
毎日の生活も特別な出来事も、人生の一部であることに変わりはない。どんな場面でも気を抜くことなく、かといって気負い過ぎることもなく、いつも穏やかな心を保ち続けること。それが悟りを開いて仏となるということである。